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八戸のこと2(三日月の丸くなるまで南部領、戦国時代の南部氏)

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こんにちは!

今回は八戸の歴史、特に個人的に興味のある戦国時代の事についてお話しします。

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 三日月の丸くなるまで南部領!

戦国武将で平安時代から続く守護大名南部氏。

その中でも南部氏の最盛期を築いた南部晴政(なんぶはるまさ)の有名な謳(うた)です。

意味は”旅で空の月が三日月の頃に南部領に入ると、連日歩いても領内を通り抜けられるのに満月になるまで日数がかかるぐらい、南部氏が治めている領地は広大”という事です。

下の図を見ても当時の東北地方としては飛び抜けて広大な領地だったのが分かります。

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伊達氏よりも大きい領土ですね!

 

 南部氏はもともと甲斐の武田氏の家臣で現在の山梨県南巨摩郡南部町に住んでいました。

平安時代末期に奥州糠部(現在の青森県南部から岩手県北部にかけての地域)の地に土着したといいます。

 

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糠部群には一戸から九戸までの地名がありますよ!

最初は南部町にある聖寿寺館を拠点としましたが家臣に城を焼かれたので、三戸城へ拠点を移しました。

↑聖寿寺館

↑聖寿寺館の航空写真

↑聖寿寺近くにある南部利康霊屋(国重要文化財

 

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↑三戸城の航空写真

↑三戸城のイラスト

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↑三戸城の天守閣(博物館)

 

八戸にある根城がもともと本家だったようですが、いつの間にか三戸の南部氏が本流となっていったようです。

↑根城のイラスト

↑根城の航空写真

↑根城の本丸御殿

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ちなみに家紋の周りに輪っかがついてると分家だそうです。

根城南部氏の家紋に輪っかはついていません。

↑三戸南部氏の家紋

↑八戸根南部氏の家

戦国時代も終盤になってくると、南部氏の中でも家督争いが起きます。

これに乗じて南部一族の大浦為信(津軽為信)は津軽半島で独立を果たします。

さらに九戸政実実弟による南部家の家督相続に敗れて反乱を起こします。

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この時、豊臣秀吉の軍勢が二戸市にある九戸城まで押し寄せています。

 

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戦国時代の終焉は九戸の乱の鎮圧で幕を閉じました。

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伊達政宗上杉景勝など東北の名だたる大名の武勇伝にも匹敵するドラマが南部氏にもあります。

南部氏に関する研究はまだまだ未知の部分が多いのでこれから新発見などが期待できます。

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話を深掘りするときりがないので、まず最初の滑り出しはこの辺にしようと思います。

 

 

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